大巡思想の自生的近代性と治乱の再活性化
人身降世(人身降世)天界観(天界觀)の自生的近代性
天界観(天界觀)としての天観(天觀)
超越天の介入による東学思想の天観・地観・人間観の変化は、大巡思想において上帝の人身降世として再活性化される。東学思想の超越天が人世に出現するにとどまったとすれば、大巡思想では人間の身体をもって直接降世する。大巡思想の天界観の成立過程は、東学思想の出現過程を要約的に説明する次の一節において、より明確に現れる。
上帝が九天におられたとき、神聖・仏・菩薩などが、上帝でなければ混乱に陥った天地を正すことができないと訴えたため、西洋(西洋)の大法国の天啓塔に降りられて三界を見回し、天下を大巡されていたところ、東土にとどまり、母岳山金山寺の弥勒金像に臨んで三十年を過ごされながら、崔水雲に天命と神教を下して大道を立てさせられたが、甲子年に天命と神教を収め、辛未年にみずから世に降りることを定められたのである。『典経』「予示」一。
『典経』「予示」一。
超越天は、東学思想においては最初に人世に出現したが、出現のみでは人間がその意を理解できなかったため、ついに人間の姿で降世する。その背景は、マテオ・リッチによって物質中心の西洋近代性が天下震滅をもたらした状況である。近代東アジアの思想のうち、民族主義を超越して、西洋近代性のもつ人類絶滅の危機を警告したものは、大巡思想以外には見いだしがたい。上帝の人身降世もまた、東学思想における超越天の出現と同じく、天観・地観・人間観に総体的な変化をもたらした。
いま、天をも作り直し、地をも作り直して、水も漏らさぬように度数を組んでおいたゆえ、おのおのその限度に巡り着くままに新たな基(もとい)が開かれるであろう。また神明をして人の腹中に出入りさせ、その体質と性格を改めて用いるであろう。これは、たとえ杭であっても気運を付ければ用をなすがゆえである。ただ愚かで貧しく賤しく弱きものを偏(かたよ)りて愛(いつく)しみ、心と口と意より起こるすべての罪を慎み、人に隻(怨み)をつくるなかれ。富み貴く知恵あり強権をもつ者はみな隻にかかり、もやしが引き抜かれるごとくになるであろう。古き気運が満ちているところに大いなる運数を担うことが難しいゆえである。富者の家の床(まろうど)と部屋と蔵には、殺気と災厄が満ち満ちているのである。『典経』「教法」三-四。
『典経』「教法」三-四。
大巡思想において、超越天は九天と称される。以下、大巡思想における超越天・天外天は九天と称する。ここで九天とは、甑山の神位である九天応元雷声普化天尊姜聖上帝を意味する。本稿は、超越天・天外天としての九天の意味を強調しようとして、甑山あるいは上帝の代わりに九天を用いる。九天が降世するのは、これまで機能してきた天と地を新たに作り直すためである。天と地を天において作り直さず、直接人間として生まれて作り直すのは、人間として生まれてこそ人間の立場から天と地の姿を見ることができるからである。太初に天と地を分けた九天は、いまや人間となって、みずから作った天と地を作り直す存在へと転換する。
以下、大巡思想における超越天・天外天は九天と称する。ここで九天とは、甑山の神位である九天応元雷声普化天尊姜聖上帝を意味する。本稿は、超越天・天外天としての九天の意味を強調しようとして、甑山あるいは上帝の代わりに九天を用いる。
上帝がある日、従徒たちが集まっている席で、「古き天は人を殺す公事ばかりを見ていた。今後、日用の百物がすべて乏しくなって生きていけなくなるであろうから、いま作り直さなければならぬ」と言われ、三日間にわたって公事を見られた。上帝が公事を終えられて言われるには、「かろうじて命をつなげるようにはしたが、壮丁は腹を満たすことができず、腹が減ったという声が九天に達するであろう」と言われたのである。『典経』「公事」一-一一。
『典経』「公事」一-一一。
既存の宗教において究極的存在とみなされてきた天が、天の上の天の立場からは古き天となるという天観の変化が、九天の人身降世として現れる。乱世を迎えて構造を変える解法が、九天によって提示されるのである。九天はここで、東学思想のように既存の天を新たに更新する「再び開闢」を追求するのではなく、作り直す改造の方式によって「後天開闢」を志向する。天観の近代性が九天によって現れる再活性化の形態は、天と地を作り直して改造する天地公事の形態として現れる。天を作り直す公事は、冥府から始まる。
上帝が、「先天においては人間や事物がみな相克に支配され、世に怨恨が積もり結ぼれて三界を満たしたゆえ、天地が常道(常道)を失っていろいろな災禍が起こり、世は惨憺たるものとなった。それゆえ、われは天地の度数を整理し、神明を調化して万古の怨恨を解き、相生(相生)の道によって後天の仙境を立て、世界の民生を救おうとするのである。およそ大小を問わず、神道から怨を解かねばならぬ。まず度数を堅固にして調化すれば、それが基(もとい)となって人事がおのずから成し遂げられるのである。これがすなわち三界公事(三界公事)である」と金亨烈に言われ、そのうちの冥府公事(冥府公事)の一部に着手されたのである。『典経』「公事」一-三。
『典経』「公事」一-三。
右の例文における「度数を堅固にして調化すれば、それが基となって」の意味は、森羅万象の根源となる天地を新たに変えるという意味である。東学思想に現れた超越天の出現と、大巡思想に現れた九天の人身降世との差異は、超越天に実体があるか否かの差異にある。超越天が実体をもつのは、人身降世によってである。超越天によってもたらされた地と人間の地位上昇は、実体をもつ人身降世を通じて拡大され、ついに地観と人間観も実体をもつようになる。上帝の人身降世は、人間と超越天とが心のみが通じるのではなく、身体までも通じうる存在となることを意味し、地もまた上帝が出現しうる存在であるという地位の格上げを成し遂げる。
九天が人身降世以後に天と地を作り直そうとすると、既存の天と地を運行していた神明が出現する。これによって大巡思想では、東学思想には現れない神明界からなる天界・地界・人間界が現れる。したがって大巡思想の天観の特徴は、三界(三界)のうち天界(天界)という用語によって代表される。大巡思想において三界という用語が天界・地界・人間界を意味する用語として用いられていることを、次の一節は示している。
その三界公事とは、すなわち天・地・人の三界を開闢することであり、この開闢は他人が作っておいたものに従って行う事ではなく、新たに作られるものであって、昔にもなく今もなく、他人から受け継いだものでもなく、運数にある事でもなく、ただ上帝によって作られねばならぬ事である。『典経』「予示」五。
『典経』「予示」五。
右の例文における天界・三界の界(界)という用語は、天地人を三才(三才)という時の才(才)とは対比される用語である。三才(三才)は、三つの大いなる材木・材料・才能という意味をもつ。右の例文における三界の界(界)は、世界(世界)の界(界)であって、三才と三界が異なるのは、三界は三才よりも神明界のような複雑で多様な内部世界、すなわちシステムを表現している点である。このような神明のシステムを基盤として、大巡思想の三界は、天・地・人の間の動的かつ現在的な変化が同時に行われるという点が、既存の三才とは異なる差異となる。
大巡思想の三界(三界)は、天界のみを意味する仏教の三界とは異なる。三界という用語が東洋宗教において最初に明確に用いられた宗教は仏教であるが、仏教の三界は欲界(欲界)・色界(色界)・無色界(無色界)からなる天界を意味するため、天界・地界・人間界を含む大巡思想の三界とは異なる。大巡思想の三界は、天地人の三才(三才)にある内部的なシステムを強調した表現に近い。
仏教において三界(三界、trailokya または triloka)は欲界(欲界、desire realm)・色界(色界、form realm)・無色界(無色界、formless realm)を指すが、仏教の三界概念はインド伝統の三界の影響を受けており、それ以前の三界は東西共通の天文に由来したものであるという。道教でも天地人を三才(三才)と呼ぶが、三界を天界・地界・人界と確定して表現した事例は大巡思想が最初である。
天観・地観・人間観は、英語でコスモロジー(Cosmology)と言いうる。世界観が worldview、宇宙観が Universe theory であるとすれば、Cosmology としての天観・地観・人間観は、英語で anthropocentricity あるいは人間中心の宇宙観に近く、自然中心の宇宙観である Astronomy とはやや異なる。三界観もまた anthropocentricity に近い。
大巡思想の天界観の成立においては、段階的な変化のようなものは現れないが、天地公事以前と以後の天界観に区分され、天界観を説明する段階に応じて天界観が明確に現れる。したがって大巡思想の天界観の成立は、大巡思想の天界観が現れる過程を通じて考察することができる。大巡思想において天界観は、水雲の天師問答から現れる。大巡思想の「予示」編は、次のように表現する。
先天の度数を作り直し、後天の無窮な仙境の運路を開いて、先天における相克に伴うすべての怨恨を解き、相生(相生)の道(道)によって世界の蒼生を救おうとする上帝の意は、すでに世に弘布されたものである。『典経』「予示」六。
『典経』「予示」六。
右の文において、結局のところ弘布されたものというのは、甑山が天命と神教を下したという東学思想を意味する。東学思想は短期間に燎原の野火のごとく広がっていったが、甑山の思想が世により広く知られたのは、もう少し後の普天教と無極道の時代である。したがって大巡思想は東学思想を甑山の思想とみなしていることが、右の文から知られる。『典経』「予示」部分の右の一節を通じて、東学思想に現れた「天地が鬼神であり、鬼神が陰陽である」という一節と、「上帝を鬼神という」という東学思想の天観が、大巡思想の天界観と同じものであると大巡思想が解釈していることが知られる。김태윤, 「동학(東學)의 유교적 전헌(典憲) 고찰」,『대순회보』155, 2014.。
김태윤, 「동학(東學)의 유교적 전헌(典憲) 고찰」,『대순회보』155, 2014.。
「天地が鬼神であり、鬼神が陰陽である」という文句によって代表される東学思想の天観が、東洋の属性的な天観のうち鬼神という実体概念が部分的に反映されたものであるとすれば、大巡思想の天界観においては、実体としての神明概念が「界」というシステムの中で非常に詳細な様相をもって現れる。東学の成立に天師問答が決定的であったとすれば、大巡思想の場合はマテオ・リッチから始まった近代文明の弊害が上帝の人身降世の決定的背景であったことを、次の例文はより詳細に示している。
上帝がある日、金亨烈に言われるには、「西洋人の利瑪竇(利瑪竇)が東洋に来て地上天国を立てようとしたが、長らく根を張った儒教の弊習のために容易に改革することができず、その意を遂げることができなかった。ただ天上と地下の境界を開放し、それぞれの地域を固く守って互いに行き来できなかった神明を相互に往来させ、彼は死後に東洋の文明神(文明神)を率いて西洋に行き、文運(文運)を開いたのである。これより地下の神は天上のあらゆる妙法を本(も)とにして人世にそれを施した。西洋のあらゆる文物は天国の模型に倣ったものである」と言われ、「その文明は物質に偏って、かえって人類の傲慢を助長し、ついに天理を揺るがし自然を征服しようとするところからあらゆる罪悪を絶え間なく犯して神道の権威を失墜させたゆえ、天道と人事の常道が乱れ、三界が混乱して道の根源が断たれるようになったので、原始のあらゆる神聖と仏と菩薩が会集して人類と神明界のこの劫厄を九天に訴えたゆえ……崔済愚(崔濟愚)に済世大道(濟世大道)を啓示したが、済愚が儒教の典憲を超えて大道の真の意を明らかにすることができなかったゆえ、甲子(甲子)年についに天命と神教(神敎)を収め、辛未(辛未)年に降世したのである」と言われたのである。『典経』「教運」一-九。
『典経』「教運」一-九。
大巡思想は、マテオ・リッチからもたらされた近代文明の危機により、神聖・仏・菩薩が九天上帝の人身降世を要請し、それに従って水雲に天命と神教を下した後、成果がなかったために直接人身降世したのであると説明している。東西の出会いからもたらされた西欧的近代性が引き起こした弊害が、大巡思想の天観の成立背景となる。
東学思想によって提起された聖・俗の再配置と相関的思惟のリミナリティは、大巡思想の再活性化によって成就される。大巡思想はこの成就を、万物の理を統合する開闢とも言い、万物が熟する西神司命(西神司命)とも言う。神明は天の外の天、すなわち九天「神明」は、戦国中期以降、墨家を除いてはほとんどの文献で言及されているが、それぞれの神明についての理解は異なるという。「史記」に「東北は神明の舎(やしろ)であり、西方は神明の墓である(東北神明之舍,西方明之墓也)」(「封禅書(封禪書)」)とあって、太陽あるいは太陽神を指している。儒家系列は当初おおむね神祇(神祇)という意味で用いた。すなわち『左伝』に「民がその君を奉るに、これを愛すること父母のごとく、これを仰ぐこと日月のごとく、これを敬慕すること神明のごとし(奉其君,愛之如父母,仰之如日月, 敬之如神明)」(襄公十四年)という文があり、「易伝」に「昔、聖人が易を作ったとき、神明を幽(かす)かに賛(たす)けて蓍(し)を生ず(昔者聖人之作易也, 幽贊於神明而生蓍)」とある(김백현, 『도가철학연구』, 강릉: 동녘출판기획, 2002. pp.106-107)。神祇(神祇)は天神地祇(天神地祇)すなわち天地神明であり、太陽神もまた日月によって代表される天地神明であって、神明は天地神明を意味する。「天地が鬼神であり、鬼神がわれである」という東学思想と、「古き天」に言及する大巡思想において、天は天地に区分される前の天、すなわち無極を意味するため、無極大道と無極神が強調される。東洋思想において天は、天の外の天と、天地に区分された以後の天という両義的な意味で用いられてきた。天外天は天の外の天であり、東学思想と大巡思想において上帝を意味する。の命によって天地に人間を化育する存在であった。林雲銘(林雲銘)は「神(神)とは明(明)が蔵(藏)したものであり、明(明)とは神(神)が発(發)したもので、道術の極致を言ったものである」(林雲銘, 『增補莊子因』, 廣文書局, 券之六)と言い、唐君毅(唐君毅)は「神明(神明)とは霊台(靈臺)・霊府(府)の心(心)を言ったものであり、とりわけ莊子の特徴である。神(神)と明(明)が異なる点は、もっぱら神(神)はみずからが心(心)から直発(直發)するということをもって言い、明(明)はみずからが物(物)を照らすことができるということをもって言ったものである。それゆえ明(明)もまた神(神)の中にある」(陳鼓應 編, 『莊子今注今譯』 中華書局 p.856)と言い、蔣錫昌は「神明(神明)とはすなわち自然を言うものである」(蔣錫昌, 『莊子哲學』, 鳴宇出版社, p,188)と言った(김백현, 『도가철학연구』, 강릉: 동녘출판기획, 2002. pp.106-107)。大巡思想の天観が開闢と西神司命をなしうる理由は、東学思想の天観では見られなかった神明の概念が導入されるからである。太一が水を生じ、水が反(かえ)って太一を輔(たす)けて天を成す。天が反って太一を輔けて地を成す。天と地とが重ねて相い輔けて神明を成す。神明が重ねて相い輔けて陰陽を成す。陰陽が重ねて相い輔けて四時を成す(太一生水, 水反輔太一, 是以成天。天反輔太一,是以成地。天地復相輔也,是以成神明。神明復相輔也,是以成陰陽。陰陽復相輔也,是以成四時。『郭店竹簡』、「太一生水」)。このように、まず天と地(天地)があり、天と地(天)とが重ねて相い輔けて神明(神明)が成る。しかる後に神明(神明)が重ねて相い輔けて陰陽が成る。……中国の知識人、とりわけ宋明以降の儒学者は、おおむね天地(天地)と陰陽(陰陽)を語ることは好むが、天地(天地)と神明(神明)を語ることはあまり好まなかった(김백현, 『도가철학연구』, 강릉: 동녘출판기획, 2002. pp.161-162)。老子に関係する最も古い文献である『郭店竹簡』において、すでに天地は「神明」と「陰陽」へと解釈されているが、宋明以降の儒学者は天地と神明をともに論じることを回避した。儒教の典憲に縛られていた東学思想に比べて、大巡思想は神明の概念が積極的に活用される。
「神明」は、戦国中期以降、墨家を除いてはほとんどの文献で言及されているが、それぞれの神明についての理解は異なるという。「史記」に「東北は神明の舎であり、西方は神明の墓である(東北神明之舍,西方明之墓也)」(「封禅書(封禪書)」)とあって、太陽あるいは太陽神を指している。儒家系列は当初おおむね神祇(神祇)という意味で用いた。すなわち『左伝』に「民がその君を奉るに、これを愛すること父母のごとく、これを仰ぐこと日月のごとく、これを敬慕すること神明のごとし(奉其君,愛之如父母,仰之如日月, 敬之如神明)」(襄公十四年)という文があり、「易伝」に「昔、聖人が易を作ったとき、神明を幽かに賛けて蓍を生ず(昔者聖人之作易也, 幽贊於神明而生蓍)」とある(김백현, 『도가철학연구』, 강릉: 동녘출판기획, 2002. pp.106-107)。神祇(神祇)は天神地祇(天神地祇)すなわち天地神明であり、太陽神もまた日月によって代表される天地神明であって、神明は天地神明を意味する。「天地が鬼神であり、鬼神がわれである」という東学思想と、「古き天」に言及する大巡思想において、天は天地に区分される前の天、すなわち無極を意味するため、無極大道と無極神が強調される。東洋思想において天は、天の外の天と、天地に区分された以後の天という両義的な意味で用いられてきた。天外天は天の外の天であり、東学思想と大巡思想において上帝を意味する。
林雲銘(林雲銘)は「神(神)とは明(明)が蔵(藏)したものであり、明(明)とは神(神)が発(發)したもので、道術の極致を言ったものである」(林雲銘, 『增補莊子因』, 廣文書局, 券之六)と言い、唐君毅(唐君毅)は「神明(神明)とは霊台(靈臺)・霊府(府)の心(心)を言ったものであり、とりわけ莊子の特徴である。神(神)と明(明)が異なる点は、もっぱら神(神)はみずからが心(心)から直発(直發)するということをもって言い、明(明)はみずからが物(物)を照らすことができるということをもって言ったものである。それゆえ明(明)もまた神(神)の中にある」(陳鼓應 編, 『莊子今注今譯』 中華書局 p.856)と言い、蔣錫昌は「神明(神明)とはすなわち自然を言うものである」(蔣錫昌, 『莊子哲學』, 鳴宇出版社, p,188)と言った(김백현, 『도가철학연구』, 강릉: 동녘출판기획, 2002. pp.106-107)。
太一が水を生じ、水が反(かえ)って太一を輔(たす)けて天を成す。天が反って太一を輔けて地を成す。天と地とが重ねて相い輔けて神明を成す。神明が重ねて相い輔けて陰陽を成す。陰陽が重ねて相い輔けて四時を成す(太一生水, 水反輔太一, 是以成天。天反輔太一,是以成地。天地復相輔也,是以成神明。神明復相輔也,是以成陰陽。陰陽復相輔也,是以成四時。『郭店竹簡』、「太一生水」)。このように、まず天と地(天地)があり、天と地(天)とが重ねて相い輔けて神明(神明)が成る。しかる後に神明(神明)が重ねて相い輔けて陰陽が成る。……中国の知識人、とりわけ宋明以降の儒学者は、おおむね天地(天地)と陰陽(陰陽)を語ることは好むが、天地(天地)と神明(神明)を語ることはあまり好まなかった(김백현, 『도가철학연구』, 강릉: 동녘출판기획, 2002. pp.161-162)。老子に関係する最も古い文献である『郭店竹簡』において、すでに天地は「神明」と「陰陽」へと解釈されているが、宋明以降の儒学者は天地と神明をともに論じることを回避した。儒教の典憲に縛られていた東学思想に比べて、大巡思想は神明の概念が積極的に活用される。
大巡思想が東学思想と異なり神明を介入させることができたのは、上帝の人身降世のゆえである。啓示の形態にとどまっていた東学思想と異なり、大巡思想は上帝の人身降世によって、神明が人間の心に行き来して介入する契機が設けられる。東学思想において人間は、天の外の天と意思疎通しうる存在へと格上げされるが、いまや九天が降世する存在へと格上げされる。これが九天の人身降世であり、大巡思想の天観はこれによって人身降世を特徴とする。人身降世はしたがって、東学思想によって始められた聖・俗の再配置とリミナリティを完成させる。
人身降世(人身降世)の天界観(天界觀)
大巡思想の天界観の様相は、上帝の人身降世と天界観の細分化に集約される。大巡思想の天界観は、上帝がおられる天の外の天、すなわち天地人外部の天と、上帝の使命を受けた天地神明が主宰する天地人に区分された天、そして先霊神がおられるまた別の天などへと細分化される。これは従徒の金松煥との問答においてまず現れる。
ある日、金松煥(金松煥)が上帝に問うて、「天の上にまた天がありますか」と申し上げた。上帝は「あるのである」と答えられた。また彼が問うて、「その上にまたありますか」と申し上げた。上帝は「またあるのである」と答えられた。このように九度答えられて、「もうそれくらいで知っておけ」と言われた。上帝は後日、彼を万事不成(萬事不成)と評されたのである。
右の例文において、大巡思想の天界観は九個以上の重なった天界からなっていることが知られる。大巡思想の天界観が、まず天の外の天である九天と、上帝の命に従って万物を化育する天地人へと分かれた天地人の天とに区分されるということは、次の一節に現れる。
雷声(雷聲)というのは天令(天令)であり、仁声(仁聲)である。雷(雷)は陰陽二気(陰陽二氣)の結合(結合)によって成雷(成雷)される。雷(雷)は声(聲)の体(體)であり、声(聲)は雷(雷)の用(用)であって、天地(天地)を分かち、動静進退(動靜進退)の変化(變化)によって天気(天氣)と地気(地氣)を昇降(昇降)させ、万物(萬物)を生長(生長)させ、生成変化(生成變化)・支配滋養(支配滋養)することを意味するのであり、『大巡真理会要覧』、「二.信仰の対象」。
『大巡真理会要覧』、「二.信仰の対象」。
右の例文は、九天によって天地が生成される背景を示す。右の例文は、大巡思想において信仰の対象である「九天応元雷声普化天尊姜聖上帝」の神位のうち「雷声」部分を説明した文である。右の例文は、第一に、「天地を分かち」という部分において、天地が上帝によって雷声をもって分けられ作られたことを示す。第二に、「天気(天氣)と地気(地氣)を昇降(昇降)させ」は、天界と地界が互いに昇降を通じて万物を化育する原理が上帝によって意図されたものであることを示す。第三に、「万物(萬物)を生長(生長)させ、生成変化(生成變化)・支配滋養(支配滋養)」は、天地が上帝によって創造されただけでなく、調化されていることを示す。
大巡思想において天界観が複雑に構成されなければならない理由は、天地の運行が極めて体系的でなければならないからである。次の一節は、大巡思想の天(天)が上帝の命によって遂行する役割と機能を示す。
上帝が、従徒たちが集まっているところで言われるには、「七山(七山)の海で獲れる石持(いしもち)も、食べる人を定めておいて網にかかり、農事もまたそのように、食べる人を定めておいて実るのである。飢え死にすることはないのである」と言われたのである。『典経』「教法」一-一四。
『典経』「教法」一-一四。
右の例文は、人間の吉凶禍福を含めて、天地の化育が神明による天地の運行に従って決定されることを示す。天は七山の海で獲れる石持の数までも定めている。右の例文の三界観は、今日の科学において、われわれが住む宇宙と同一なまた別の宇宙が存在しうるという平行宇宙観と類似している。ミチオ・カク 著, 박병철 옮김, 『평행우주: 우리가 알고 싶은 우주에 대한 모든 것』, 파주: 김영사, 2006.
ミチオ・カク 著, 박병철 옮김, 『평행우주: 우리가 알고 싶은 우주에 대한 모든 것』, 파주: 김영사, 2006.
大巡思想において、このような人間界の万事を定める天地それ自体もまた、上帝によって調化されたものである。大巡思想において天地神明が天地の運行を主管する過程は、次のように現れる。
上帝がある日、金亨烈に「三界の大権を主宰して造化によって天地を開闢し、後天仙境(後天仙境)を開いて苦海に陥った衆生を広く救おうとするのである」と言われ、また言われるには、
「いま末世にあたって、これより無極大運(無極大運)が開かれるゆえ、
すべての事に慎んで人に隻をつくらず、罪を遠ざけて
純潔な心で天地公庭(天地公庭)に参与せよ」
と言われ、彼に神眼を開いてやって、神明の会散と聴令(聽令)を参観させられたのである。『典経』「予示」一七。
『典経』「予示」一七。
右の例文において、天地神明は会散(會散)を通じて上帝の天命を聴令(聽令)することが知られる。しかしこの聴令と会散は、天地の至極な誠敬信による努力によって可能である。天地は風雨を起こすにも、数多くの努力が傾けられる。
この言葉を終えられて、公又に「天地の造化によって風雨を起こそうとすれば限りない功力がかかるゆえ、すべての事において工夫せずに知る法はないのである。鄭北窓(鄭北窓)のような才をもってしても、入山三日の後にようやく天下事を知ったというのである」と言われたのである。『典経』「教運」一-三五。
『典経』「教運」一-三五。
右の例文において、風雨を起こすにも限りない功力がかかるということは、複雑な体系によって天界が成り立っていることを示す。したがって天もまた古き天となることもあり、『典経』「公事」一-一一、『典経』「公事」三-一三、『典経』「教法」一-一八、『典経』「教法」三-三七。新たに変わって新たな天となることもある。
『典経』「公事」一-一一、『典経』「公事」三-一三、『典経』「教法」一-一八、『典経』「教法」三-三七。
上帝がある日、従徒たちが集まっている席で、「古き天は人を殺す公事ばかりを見ていた。今後、日用の百物がすべて乏しくなって生きていけなくなるであろうから、いま作り直さなければならぬ」と言われ、三日間にわたって公事を見られた。上帝が公事を終えられて言われるには、「かろうじて命をつなげるようにはしたが、壮丁は腹を満たすことができず、腹が減ったという声が九天に達するであろう」と言われたのである。『典経』「公事」一-一一。
『典経』「公事」一-一一。
右の例文は、第一に、上帝によって分けられた天が古くなれば古き天となりうることを示す。第二に、三界が混乱すれば三界が互いに殺そうとする衝突の状況に至りうることを示す。天もまた作り直さなければならず、これは上帝によって意図される。東洋の内在天と西洋の超越天という「天」概念に対して、東学思想と大巡思想は天外天の概念を通じて二つの概念を総合した。東洋の伝統的な天概念もまた、天外天と内在天の二つの用途で用いられたが、マテオ・リッチが指摘したように、性理学以後に天外天の概念が隠蔽された。東洋の内在天に隠蔽されている天外天概念が、東学思想において再び現れた。「太極外此無極(太極外此無極)」という大巡思想の由来に現れた無極概念のように、東学思想と大巡思想は、無極大道・無極大運などの概念を通じて、天概念が天外天である九天の概念をも含んでいることを強調している。
東洋の内在天と西洋の超越天という「天」概念に対して、東学思想と大巡思想は天外天の概念を通じて二つの概念を総合した。東洋の伝統的な天概念もまた、天外天と内在天の二つの用途で用いられたが、マテオ・リッチが指摘したように、性理学以後に天外天の概念が隠蔽された。東洋の内在天に隠蔽されている天外天概念が、東学思想において再び現れた。「太極外此無極(太極外此無極)」という大巡思想の由来に現れた無極概念のように、東学思想と大巡思想は、無極大道・無極大運などの概念を通じて、天概念が天外天である九天の概念をも含んでいることを強調している。
大巡思想に現れた天観は、究極的存在であった天という既存の天観に対して、既存の天観を包越する天観を示す。「神は死んだ」と言って既存の天観を全面的に否定し、天という存在それ自体を否定した西洋の近代的天観と異なり、既存の天を認めつつ、既存の天が古びて新たな天へと交替するという加宗(加宗)の概念によって天観を提示する。これを通じて、神明の聴令と会散という既存の天の概念も廃棄されずに継承される。西洋の超越天が東洋の神明とも実体として相互に融和する天観として、大巡思想は聖・俗の関係を再配置し、日常の中に聖が入り込むことによって自生的近代性を完成し、自生的脱近代性にまで展開される。
人身降世(人身降世)天界観(天界觀)に現れた東西洋の天観(天觀)の再活性化
人身降世(人身降世)天界観(天界觀)に現れた儒仏仙の天観(天觀)の再活性化
人身降世によって実体化された大巡思想の九天天観は、東アジアの天観の細部的様相に対しても統合的な再解釈を提示した。大巡思想に現れた儒仏仙の天観と大巡思想の天観との差異は、儒仏仙と大巡思想が共有している陰陽五行原理のうち「土」の解釈の差異にある。
そして上帝がある日に言われるには、「われはすなわち弥勒である。金山寺(金山寺)弥勒殿(彌勒殿)の六丈金神(六丈金神)は如意珠を手に受けたが、われは口に含んだのである」と言われた。そして上帝が従徒たちに下唇を出して見せられると、そこに赤い点があり、上帝の竜顔は金山寺の弥勒金神と酷似しておられ、両眉間に丸い白毫珠(白毫珠)があり、左の手のひらに壬(壬)の字、右の手のひらに戊(戊)の字があることを従徒たちが見たのである。『典経』「行録」二-一六。
『典経』「行録」二-一六。
右の例文における「左の手のひらに壬(壬)の字、右の手のひらに戊(戊)の字がある」ということは、大巡思想の修練の姿勢において右手が左手の上に上がるという点で、典型的な「土克水」の姿を示す。
土克水は、『抱朴子』において五行の五要素が土と水の二つの要素に圧縮されうるという内容を叙述したものである。ここで水は、地水火風で言えば地水火風を代表し、土は第五元素に該当する。五行もまた、河図(河圖)においては地水火風のように第五元素が分離されて同時に存在したが、属性中心の相関的思惟が相克化される洛書になることによって、第五元素は内部へと編入され、これによって内在神のみが残り、超越神は隠れた神として有名無実なものとなる。これより東洋の権力は専制化され、儒教の典憲が強くなる。蘇建生 著, 조경희, 소연 옮김, 『송나라의 슬픔: 근대의 문턱에서 좌절한 중국 문명을 반성하다』, 파주: 글항아리, 2021.
蘇建生 著, 조경희, 소연 옮김, 『송나라의 슬픔: 근대의 문턱에서 좌절한 중국 문명을 반성하다』, 파주: 글항아리, 2021.
土克水が五行において重要な理由は、河図洛書の核心的な原理、すなわち直線を循環へと作り変える原理が金火交易となるからである。金火交易は、五行において金と火が互いに位置を変えて五行を循環させる原理である。陰陽五行は河図(河圖)と洛書(洛書)が背景であるため、金火交易は河図と洛書の変化を理解する主要な鍵となる。『正易』において最高神である化无上帝は、金火交易(金火交易)を通じて後天が到来するようにする、高くおられる存在であるという(안현숙, 『김일부의 정역사상과 대순사상 비교연구』, 대진대학교 대학원, 2021)。河図と洛書は東洋思想において超越天の宇宙創造と宇宙変化の原理とみなされ、森羅万象をすべて説明する原理、すなわち理(理)となった。実際、東洋では今なお、宇宙万物の原理を説明した書物を集めておく場所を、河図と洛書からそれぞれ図(圖)と書(書)を引用して図書館(圖書館)という。相生を主とする河図において五行は、木→火→土→金→水の原理で相生関係として循環し、相克を主とする洛書において五行は、水→火→金→木→土の原理で相克関係として循環する。河図の相生と洛書の相克が出会って、宇宙の森羅万象は緯糸と経糸のように互いに変化する。
『正易』において最高神である化无上帝は、金火交易(金火交易)を通じて後天が到来するようにする、高くおられる存在であるという(안현숙, 『김일부의 정역사상과 대순사상 비교연구』, 대진대학교 대학원, 2021)。
陰陽五行の変化において金火交易と土克水が核心的に台頭するのは、第一に河図と洛書の転換、第二に洛書の循環部分である。まず河図と洛書の転換を見れば、河図と洛書の差異は、金と火が互いに位置を変えるという点である。すなわち金と火が互いに位置を変えれば、すなわち金火交易して、相生が相克となり相克が相生となるため、金火交易は陰陽五行において核心原理となる。すなわち金火交易は、洛書において南にあった金を河図と同じく西へ移すために、洛書において西の火と南の金とを互いに位置交換(交易)するものである。水克火→火克金→金克木→木克土→土克水と反時計回りに展開される洛書において、金火の位置を変えれば、金生水→水生木→木生火→火生土→土生金という相生の順に展開される。
「工夫する者たちは方位が変わったと言うが、われが天地を回しておいたことをどうして知ろうか」と言われたのである。『典経』「行録」一-四。
『典経』「行録」一-四。
右の例文における「われが天地を回しておいたことをどうして知ろうか」という表現は、金火交易のように八卦の順序変更によって宇宙の運行を変えるという意味である。易の世界においては、天の上の天が天地を通じて森羅万象を化育し、天地は八つの門、すなわち乾坎艮震巽離坤兌(乾坎艮震巽離坤兌)という八門(八門)から構成されており、八門の方位を変えることによって、生長斂蔵・元亨利貞の河図洛書の理によって天地が運用される。天地の方位が八門から構成されているという表現は、次の一節に具体的に現れる。
上帝がある日、「天地大八門(天地大八門) 日月大御命(日月大御命) 禽獣大道術(禽獸大道術) 人間大積善(人間大積善) 時乎時乎鬼神世界(時乎時乎鬼神世界)」と書いて、申京洙の家にともに住んでいる公又(公又)に与え、京洙の家の壁に貼らせられ、言われるには、「京洙の家に寿命所(壽命所)を定めるゆえ、すべての人に接するときは、その長所のみを取り、あるいは短所が見えても、よく許して憎まぬようにせよ」と言われた。このとき、また亨烈(亨烈)に言われるには、「法(法)というものは、ソウルから始まって万方(萬方)に広がっていくものであるから、ソウルの京(京)の字をもつ名前の人の気運を用いるべきである。それゆえ、京洙(京洙)の家に寿命所(壽命所)を、京学(京學)の家に大学校を、京元(京元)の家に福禄所(福祿所)をそれぞれ定めるのである」と言われたのである。『典経』「予示」四六。
『典経』「予示」四六。
右の例文における「天地大八門(天地大八門) 日月大御命(日月大御命) 禽獣大道術(禽獸大道術) 人間大積善(人間大積善)」は、「乾坤坎離巽離坤兌」として現れる天地の八門に、日月という時間が現れたものである。これは禽獣の大道術と、あまねく通じる人間の大積善とによって天地を化育するにあたって、九天の意図が内在することを示す。元亨利貞と生長斂蔵は、結局のところ河図洛書のように、この八門の順序変化からもたらされる。
金火交易(金火交易)を行うにあたって基準となるものは、土克水(土克水)となる。土克水が金火交易の鍵となる理由は、洛書の相克順序において水克火→火克金→金克木→木克土→土克水と成り立つのは、「土克水」があるからである。陰陽五行において陰陽をともにもつ存在は土が唯一である。また、陰陽のうち一つのみをもつ木火金水のうち最も強いものは、洛書の順序において「水」となり、最も弱いものは「木」となる。したがって、五行が相克の循環をするためには、最も強い「水」を、陰陽をともにもつ存在である土が克し、最も弱い存在である木に「土」が克されることによって、五行が相克として循環する。これは相生関係である河図にも同じく適用され、互いに相克である火から金へ循環するためには、中間に土の仲裁がなければならない。
結局のところ土は、五行において木火金水土の一つの位置を占めつつも、木火金水とは異なる分離された存在である。あたかも天の上の天である超越天が、天地に分離された天に再び介入して、天地の中の要素と交わって内在天として現れるかのようである。陰陽五行の土は、結局のところ天の超越天と内在天の性格を現す。土の二重的性格は、リミナリティの包越性(胞越性)と非常に符合する。東洋思想においても早くからこれを把握し、陰陽五行の核心は土克水(土克水)であると把握したことがある。
五行之義 土克水也 갈홍, 『포박자(抱朴子)』 내편 , 중화서국, 1985, Vol.9. p.320. 五行之義 土克水也。五行の大義は土克水にある。
갈홍, 『포박자(抱朴子)』 내편 , 중화서국, 1985, Vol.9. p.320. 五行之義 土克水也。五行の大義は土克水にある。
大巡思想は、九天がすなわち弥勒であるという表現において「土克水」に言及することによって、「土」の存在を再活性化する点に大巡思想の差別性があることを示す。実際、大巡真理会の修道時間は、土の時間である辰戌丑未の時間に祈祷を捧げる。「土」の存在としての九天の姿は、大巡思想において「九天大元造化主神」という表現として現れる。
無上(無上)な智慧(智慧)と無辺(無邊)の徳化(德化)と偉大(偉大)な権能(權能)の所有主(所有主)であり、歴史的(歷史的)大宗教家(大宗敎家)である姜甑山(姜甑山)聖師(聖師)におかれては、九天大元造化主神(九天大元造化主神)として三界大権(三界大權)を主宰(主宰)され、天下(天下)を大巡(大巡)されていたところ、人世(人世)に大降(大降)され、常道(常道)を失った天地度数(天地度數)を整理(整理)され、後天(後天)の無窮(無窮)な仙境(仙境)の運路(運路)を開いて地上天国(地上天國)を建設(建設)し、否劫(否劫)に積もった神明(神明)と災劫(災劫)に陥った世界蒼生(世界蒼生)を広く救おうとして巡回(巡回)周遊(周遊)されながら大公事(大公事)を行(行)われたゆえ、陰陽合徳(陰陽合德)・神人調化(神人調化)・解冤相生(解寃相生)の大道(大道)の真理(眞理)によって、神人依導(神人依導)の理法(理法)によって解冤(解寃)を主(爲主)として天地公事(天地公事)を報恩(報恩)によって終結(終結)されたゆえ、解冤(解寃)・報恩(報恩)の両原理(兩原理)である道理(道理)によって万古(萬古)に積もっていたすべての怨鬱(寃鬱)が解け、世界(世界)が相克(相克)のない道化楽園(道化樂園)として成し遂げられるであろう。これがまさに大巡(大巡)された真理(眞理)である。『大巡真理会要覧』、「趣旨」。
『大巡真理会要覧』、「趣旨」。
右の例文において、大巡思想は九天を九天大元造化主神(九天大元造化主神)と表現していることを示す。大巡思想は、「土克水」の原理に従って、三界がいかにして道徳によって天地化育されたかを示す。
曰有道, 道有德, 德有化, 化有育, 育有蒼生, 蒼生有億兆, 億兆有願戴, 願戴有唐堯 『典経』「教運」一-六六。曰有道 道有德 德有化 化有育 育有蒼生 蒼生有億兆 億兆有願戴 願戴有唐堯。道があるゆえ道に德があり、德に化があり、化に育があり、育に蒼生がある。蒼生に億兆があり、億兆に願戴があり、願戴に唐堯がある。(박승식, 「陰陽合德의 意義와 思想的 價値」, 『대순사상논총』 2, 1997, p.260)
『典経』「教運」一-六六。曰有道 道有德 德有化 化有育 育有蒼生 蒼生有億兆 億兆有願戴 願戴有唐堯。道があるゆえ道に德があり、德に化があり、化に育があり、育に蒼生がある。蒼生に億兆があり、億兆に願戴があり、願戴に唐堯がある。(박승식, 「陰陽合德의 意義와 思想的 價値」, 『대순사상논총』 2, 1997, p.260)
右の例文は、『周易』に「天地化育」とのみ表現された過程を、より詳細に示している。実体的な九天を示す大巡思想は、道と徳が九天から始まって天道地徳の原理で億兆蒼生を化育するが、化育の最終目標が、上帝の人身降世に伴う天地と人間の成功、すなわち唐堯のように天地の恩恵を知り天地に報いることを知る至人の出現にあることを示す。『典経』「教運」一-三〇。
『典経』「教運」一-三〇。
「土」の二重的属性に従って、属性主体の東洋思想の天観は九天の存在を忘却したのであり、これが東洋の天観の主要な問題点であると大巡思想では指摘する。九天の忘却は、第一に、利瑪竇の地上天国の試みが儒教の弊習のために成功しなかったところに現れ、『典経』「教運」一-九。第二に、九天の忘却は、天外天と天地誠敬信を忘却する忠孝烈喪失の天下皆病(天下皆病)へと深化し、第三に、東西の交流によって天地を背く背天地(背天地)の段階にまで現れる。
『典経』「教運」一-九。
上帝がある日、金亨烈に言われるには、「西洋人の利瑪竇(利瑪竇)が東洋に来て地上天国を立てようとしたが、長らく根を張った儒教の弊習のために容易に改革することができず、その意を遂げることができなかった。『典経』「教運」一-九。
『典経』「教運」一-九。
世無忠 世無孝 世無烈 是故天下皆病 『典経』「行録」五-三八。世無忠 世無孝 世無烈 是故天下皆病。世に忠と孝と烈がなくなった。それゆえ天下がみな病んだのである。(교무부, 「대병지약」, 『대순회보』 64, 1999)
『典経』「行録」五-三八。世無忠 世無孝 世無烈 是故天下皆病。世に忠と孝と烈がなくなった。それゆえ天下がみな病んだのである。(교무부, 「대병지약」, 『대순회보』 64, 1999)
誓者元天地之約 有其誓 背天地之約 則雖元物其物難成 『典経』「教運」一-六六。誓者元天地之約 有其誓 背天地之約 則雖元物 其物難成。誓いというものは天地に根源した約束である。その誓いが天地(天地)に背いた約束であるならば、たとえ根本の物(元物)であっても、その物(物)は成功しがたい。(교무부, 「유기서 배천지지약즉수원물 기물난성」, 『대순회보』 30, 1992)
『典経』「教運」一-六六。誓者元天地之約 有其誓 背天地之約 則雖元物 其物難成。誓いというものは天地に根源した約束である。その誓いが天地(天地)に背いた約束であるならば、たとえ根本の物(元物)であっても、その物(物)は成功しがたい。(교무부, 「유기서 배천지지약즉수원물 기물난성」, 『대순회보』 30, 1992)
右の例文は、利瑪竇を初めて言及して天地公事の概要を説明した一節と、化天以後に残された「病勢文」、そして「玄武経」に込められた核心的な一節に現れる。これは大巡思想の出現の背景が、東西の九天の忘却にあることを示す。
人身降世(人身降世)天界観(天界觀)に現れた西洋の天観(天觀)の再活性化
実体論的な天外天を主張してきた西洋の天観と、属性論的な東洋の天観に実体論的な天観を統合した大巡思想の天観は、九天に属性的な陰陽五行の原理が追加されているという点が、他の天観と比較して最も際立った差異点である。まずその差異は、大巡思想の天外天の神位、すなわち「九天応元雷声普化天尊姜聖上帝」において現れる。西洋の天外天が God、ゼウス、アッラーのように名称のみで現れるとすれば、東洋の属性的な天観が反映されている大巡思想の九天の神位には、陰陽五行的な属性が明確に表現される。大巡思想において陰陽五行は、元亨利貞という九天の天地化育原理である。これは「九天応元雷声普化天尊姜聖上帝」の神位のうち「九天」と「普化」という部分において明確に現れる。まず「九天」を見れば、
九天(九天)というのは、
典経(典經)に『……すべての神聖(神聖)・仏(佛)・菩薩(菩薩)たちが会集(會集)して九天(九天)に訴えたゆえ……(教運一-九)』に見られるように、この宇宙(宇宙)を総轄(總轄)される最も高い位(位)におられる天尊(天尊)に訴えたという言葉であって、その九天(九天)はまさに上帝(上帝)が三界(三界)を統察(統察)され、乾坤(乾坤)を調理(調理)し運化(運化)を調練(調鍊)しておられる最も高い位(位)であることを意味するのであり、『大巡真理会要覧』、「信仰の対象」。
『大巡真理会要覧』、「信仰の対象」。
右の例文において、大巡思想の九天は、神明である神聖・仏・菩薩の意見を傾聴する。「宇宙(宇宙)を総轄(總轄)される最も高い位(位)におられる天尊(天尊)」という点は西洋の超越天と共通するが、神明を通じて三界(三界)を統察(統察)され、乾坤(乾坤)を調理(調理)し運化(運化)を調練(調鍊)されるという点が差異点として現れる。大巡思想と西洋の天観に現れる神明の介入の有無は、大巡思想と西洋の天観の特徴的な差異点である。
西教は神明の薄待が甚だしいゆえ、あえて成功しえないであろう。『典経』「教法」一-六六。
『典経』「教法」一-六六。
『典経』に見られる右の例文は、西洋の天観が超越天を強調したという点で東洋の天観よりも優れた点があるとしても、内在神である神明を否定することによって、西教の天観がたとえ実体論的な天観であるとしても成功しがたい天観であることを指摘する。ここで「成功」とは、親が自分よりすぐれた子を育てたとき「青出於藍(靑出於藍)」と言って子の教育に成功したと言うように、大巡思想においては、天地が陰陽として出会って万物を化育し、天地と同じような人間を輩出したときの「成功」を意味する。
上帝が「これより後は天地が成功する時である。西神(西神)が司命して万有を裁制するゆえ、すべての理を集めて大いに成すのであり、これがすなわち開闢である。万物が秋風に従って落ちることもあり、あるいは成熟することもあるのと同じように、真なる者は大いなる実を得てその寿命が永く昌(さか)え、偽りの者は枯れ落ちて永く滅亡するであろう。それゆえ神の威厳を奮って不義を粛清することもあり、あるいは仁愛を施して義しき人を助けるのであり、福を求める者と生を求める者は努めよ」と言われたのである。『典経』「予示」三〇。
『典経』「予示」三〇。
右の例文のように、大巡思想の超越的な天観は、内在的な天観を通じて生長斂蔵の原理で天地を化育し、人間とともに天地もまた西神(西神)に成功の可否を審判されるということを示す。大巡思想の天観は、東洋の属性的天観と西洋の実体的天観が結合されて二重に実体化される。九天は天地に万物を化育する命を下したという点が特に異なる。これは九天の神位のうち「普化」という部分に現れる。
普化(普化)というのは、
宇宙(宇宙)の万有(萬有)が有形(有形)無形(無形)に化成(化成)されることが天尊(天尊)の徳化(德化)であることを意味するのであり、『大巡真理会要覧』、「信仰の対象」。
『大巡真理会要覧』、「信仰の対象」。
右の例文は、そもそも雷声によって天地を陰陽に分けたことが、天地を化育しようとする九天の普化を意味する。ここで「普化(普化)」の普(普)は、普遍的(普遍的)という単語を用いるときの「普(普)」の意味を表す。宗教思想において普(普)と化(化)は、天外天を象徴する単語であった。たとえば西洋の場合、天外天を意味する「カトリック(catholic)」は「普遍」の意味であり、「化(化)」は万物を化育する東洋の天概念であった。「普化(普化)」という用語は、東西の超越天概念が統合して万有を化育するという意味がある。
「普化」概念には、万物を創造したという西洋の超越天概念と、万物を創造し化育するという大巡思想の九天概念との差異点が際立って現れる。大巡思想の九天神位に現れた「雷声」という概念が、西洋の超越天の天観のように「創造」の意味があるとすれば、「普化」は創造された万物の進化と関連する。西洋の超越天の天観をめぐって、進化論の台頭以後に創造論と進化論の多くの論争があったが、大巡思想の天観においては論争が解決される。
西洋の実体的な超越天は、ギリシア・ローマの場合は第五元素として現れ、キリスト教においては唯一神として現れたが、二つの天観には第五元素という共通的背景がある。初期のイエスの弟子のうちギリシア・ローマ哲学に造詣の深かったパウロは、イエスの思想を説明するためにギリシア・ローマ哲学を用いることもあった。地水火風がキリスト教の出現以後、近代に至るまで聖書の宇宙論を形成した点で、第五元素はキリスト教においても超越天の役割を果たす。「土」の二重的属性を超越天の説明に適用した大巡思想の九天は、西洋の第五元素の意味を含みつつ超越している。大巡思想が実体化した超越概念と内在の二重的天観は、近代に現れた東西古今の天観・地観・人間観を総合し、近代性を越えて脱近代性へと発展する。大巡思想の実体的な九天観は、東洋の属性的な天観(1)と西洋の実体的な天観(2)、そして東学思想の超越的な天観(3)を含み超える、自生的近代性のリミナリティ様相が再活性化(1+2+3=1′)に至った段階である。
最近、大巡思想が活性化したのが旧韓末ではなく一九八〇年代以降の現代韓国社会であるという点に着眼して、大巡思想を単純に旧韓末の新宗教と見るよりも、一九八〇年代のポストモダニズムの次元から接近する研究も注目されている。大巡思想をポストモダニズムの領域と見る研究を見れば、宗教学的研究として李京源 이경원, 『한국 신종교와 대순사상』, 문사철, 2011.の研究と、宗教心理学的研究としての高南植の研究がある。고남식, 「단주(丹朱) 해원(解寃) 전승(傳承)에 대한 문학치료적 접근」, 『문학치료연구』 4, 2006. ポストモダニズム思想としての大巡思想についての本格的研究である朴マリアの論文 박마리아, 「포스트모던사회와 한국신종교 포스트모던 사회와 대순진리회 -다원성의 구현을 중심으로」, 『신종교연구』 20, 2009.は、現代ポストモダニズムに伴う多元主義問題の解決策としての大巡思想を提示する。
이경원, 『한국 신종교와 대순사상』, 문사철, 2011.
고남식, 「단주(丹朱) 해원(解寃) 전승(傳承)에 대한 문학치료적 접근」, 『문학치료연구』 4, 2006.
박마리아, 「포스트모던사회와 한국신종교 포스트모던 사회와 대순진리회 -다원성의 구현을 중심으로」, 『신종교연구』 20, 2009.
姜敦求は、「宗教と近代性」、そして「宗教と脱近代性」という主題のもとで、近頃の世界宗教の変動を説明しようとする試みがなされてきたのは事実であるという。강돈구, 「현대 한국의 안티 종교운동」, 『대순사상논총』 29, 2017, しかし今日、後期構造主義などの意味で用いられるポストモダニズム概念には、アーノルド・トインビー(Arnold Joseph Toynbee, 1889-1975)が最初に指称したときの新たな実存概念が抜け落ちており、過度に構造主義的な意味で用いられている。アーノルド・トインビーがポストモダニズムと指称した「実存主義以後の実存」概念は、今日の後期構造主義よりもさらに実存を強調した概念であった。강기철, 『후과학단계의 세계관』, 문예출판사, 1994, pp.248-252. リミナリティ概念もまた、レヴィ=ストロースの構造主義人類学が過度に構造を強調したことに対する実存的反発であったと、ターナーは明らかにしたことがある。빅터 터너 지음, 강대훈 옮김, 『인간 사회와 상징 행위: 사회적 드라마, 구조, 커뮤니타스』, 서울: 황소걸음, 2018.
강돈구, 「현대 한국의 안티 종교운동」, 『대순사상논총』 29, 2017,
강기철, 『후과학단계의 세계관』, 문예출판사, 1994, pp.248-252.
빅터 터너 지음, 강대훈 옮김, 『인간 사회와 상징 행위: 사회적 드라마, 구조, 커뮤니타스』, 서울: 황소걸음, 2018.
実際にポストモダニズムが開花したのは九〇年代以降からであり、ようやく始まりかけた時期も、早く見積もっても六〇年代にもならぬ前に、実存的な歴史学者アーノルド・トインビーが五〇年先を見据えてポストモダニズムと命名したことからである。ポストモダニズムとして知られる後期現代西洋哲学において、ドゥルーズ、ラカン、デリダなどが理気(理氣)概念と類似した西洋思想の全一化を追求したが、いまだに限界が目撃される。박정진, 『철학의 선물, 선물의 철학』, 서울: 소나무, 2012.
박정진, 『철학의 선물, 선물의 철학』, 서울: 소나무, 2012.
天地誠敬信(天地誠敬信)地界観(地界觀)の自生的近代性
地界観(地界觀)としての地観(地觀)
人身降世を通じて属性と実体の二つの性格を同時にもつようになった大巡思想の天観は、東学思想と同じく多重的な地観(地觀)をもつようになる。まず大巡思想の天観を九天である超越天として比定する場合、大巡思想の地観もまた東学思想と同じく、九天の下の天地概念を包括する。東学思想と異なる点は、東学思想の地観が無為而化・気化・造化など見えない実体として主に表現されたとすれば、大巡思想は神明界を含む地界として具体化されて表現される点である。
また上帝が言われるには、「地気が統一されないことによって、その中で生きている人類はそれぞれ思想が食い違い、それぞれ考えて反目し争闘するのである。これを無くそうとすれば、解冤によって万古の神明を調化し、天地の度数を調整しなければならず、これが成し遂げられれば天地は開闢され、仙境が立てられるであろう」と言われたのである。『典経』「公事」三-五。
『典経』「公事」三-五。
右の例文において、九天に対して天地はいずれも形体をもつ存在であるが、その中でも地は形体をもつ代表的な存在となる。地もまた神明から成り立っているため、地を変えることもまた神明から始まる。これによって、神明を薄待した西教と異なり、神明を優待した朝鮮が浮き彫りにされ、上帝が人身降世した所も朝鮮となる。大巡思想の地界観の成立は、九天が東土にとどまり、人身降世が朝鮮に至ることから始まる。
上帝がある日、京石を連れて籠岩(籠岩)を発って井邑へ向かう途中、院坪の酒幕に立ち寄り、通りすぎる行人を呼んで酒を買って勧め、「この道が南朝鮮の船路である。荷を多く載せてこそ発つであろう」と言われ、再び道を急いで三十里となる所に至り、「大陣(大陣)は一行三十里である」と言われ、古阜松月里(松月里)崔(崔)氏の斎室に居住する朴公又(朴公又)の家に宿泊された。公又と京石に言われるには、「いま会うべき人に会ったゆえ、通精神(通精神)が出るのである。わが事は、たとえ父母兄弟であっても知らぬ事である」と。また「われは西洋(西洋)大法国(大法國)の天啓塔(天啓塔)に降りて天下を大巡していたところ、三界の大権をもって三界を開闢し仙境を開いて、死滅に陥った世界の蒼生を救おうとして、なんじら東方を巡回していた中で、この地にとどまったのは、すなわち惨禍の中に埋もれた無名の弱小民族をまず助けて、万古に積もった怨を解いてやろうとするためである。われに従う者は永遠の福禄を得て不老不死し、永遠の仙境の楽しみを享受するであろう。これが真東学である。弓乙歌(弓乙歌)に『朝鮮江山(朝鮮江山)は名山(名山)である。道通君子(道通君子)が再び生まれる』とあるが、これもまたわが事を言うのである。東学の信者の間に大先生(大先生)が更生するであろうと伝えられているが、これは代先生(代先生)が再び生まれるという言葉であって、われがすなわち代先生(代先生)である」と言われたのである。『典経』「権智」一-一一。
『典経』「権智」一-一一。