〈表2.2〉道徳哲学の位相において社会契約主義を基準に考察すると、回帰的社会契約主義は〈表3.11〉において①②④⑤の順に、分析者言説のように循環する。[566]
表〈3.11〉は、正義に基づく①社会契約主義が、実践を通じて⑥市場均衡に至るには、③制度進化論(歴史学派経済学)に基づく実践をせねばならないことを示す。
たとえば、社会福祉のように、皆が公平な均衡に至るには、社会の正義実現のために自己の義務を誠実に遂行し、自由への意志を蘇らせ(②自由至上主義)、他人を制裁する行為(③制度進化論)があってこそ④功利主義と⑤共同体主義を形成させ、再び④功利主義と⑤共同体主義が⑥市場均衡をなしうるようにする循環関係を示す。このとき、①社会契約主義が③制度進化論の結論に参与する行為において、個人の義務遂行を人(人)、他人に対する制裁を法則として作り守っていくことを神明(神明)とみて、神人調化といえる。神人調化(神人調化)とは、人間と神明が回帰的に作用しながら調和となる場合をいう。[566]
〈表3.11〉において社会契約主義の場合、方法論的には自由至上主義のように個人主義の領域、価値論的に見れば制度の基礎構造を改革しようとする正(正)の領域にあるにもかかわらず、本来の機能である「制度の基礎構造を変える社会正義」が実現されず、これまで理論経済学の市場均衡論の限界において体制内の正義を模索していたが、ついには今日、敗北主義へ転落したといえる。
〈表3.11〉回帰的社会契約主義分配観の循環
| 方法\価値 | 善(善)—制度内秩序 | 正(正)—制度の基礎構造 | ||
|---|---|---|---|---|
| 個人主義 | ⑥市場均衡論(理論経済学) | ①社会契約主義(正義) | ②自由至上主義(自由) | |
| 全体主義 | ④功利主義(効率) | ⑤共同体主義(徳) | ③制度進化論(歴史学派経済学) |
社会契約主義の場合、正義とは制度の基礎構造を変えうる正義であり、これまで社会契約主義が社会倫理の主要関心事として定着しえた理由でもある。大巡の循環的経済観では、社会契約主義分配観に対する代案として、神人調化に基づく回帰的社会契約主義分配観を提示する。
社会契約主義の鍵は「努力に対する応分の対価を補償されうるか」の問題に帰結するとするとき、社会契約主義では「過度な義務尊重による倫理の敗北主義化」が問題であったとすれば、神人調化の回帰性に基づく回帰的社会契約主義的分配観は、社会契約主義本来の制度改革の趣旨をよく活かしつつ、現実的な社会正義を提示する社会契約主義となる。
神人調化に基づく回帰的社会契約主義の事例を『典経』に求めると次のとおりである。まず『典経』では、敗北主義に陥っている人々の問題をいかに解決しうるかを示す。契約不履行に対する制裁措置の挫折によって倫理的敗北主義に陥った社会契約主義の場合には、神明による制裁措置[567]が可能であることを提示して社会正義を回復させる。
神明は、貪って不当な地位に座ったり、事を偏って処理したりする者の襟首を打って退ける。地位を貪らず、偏った処理を慎み、徳を修めることに励み、心を正しく持て。神明たちが地位を定めて互いに奉じて座らせるであろう。(『典経』教法一章二十九節)
上文において、社会契約主義とは異なり、神人調化に基づく回帰的社会契約主義では、相手がたとえ契約を違反して人間的に何の処罰も受けなかったとしても、神明によって処罰され、機会が均等に適用されるようにすることで、敗北主義に陥った社会正義を再生させる。
敗北主義に陥って再生した回帰的社会契約主義において、現実的な社会正義は、自由至上主義・功利主義・共同体主義の三つの方向へ拡大しうる。既存の社会契約主義では、自由至上主義・功利主義・共同体主義が互いに共有する要素がありえなかったが、[568]万物が循環する循環的経済観では、万物が循環するため、三つの方向すべてへ社会契約主義が拡散しうる。
まず、自由至上主義へ拡大して、社会の正義を拡大するために、人情による不義すら正しく立て直す。
上帝が公事(公事)を行われて以後、父親も日常生活において依存心を持たないようにし、また平素の過ちを悔いて前途を修めるようにし、時には従徒たちから物品やその他の助けを受けることを一切禁じられた。ところがある日、ある従徒が、上帝の本宅があまりに狭隘であることを畏れ多く思い、少しましな家を買って差し上げた。上帝はこれを知り、その従徒を叱って「お前はなぜ我が父親に過ちを作って差し上げるのか。まだ我を知らぬ人々は我を不孝というであろうが、我は父母の前途を修めて差し上げようと、常に状況を見ているのであるから、お前たちが父親を助けようとする心があるなら、我の許しを得て行え」と命じられた。(『典経』教運一章四十三節)
上の一節において、たとえ父母であっても、神明に正直でありうるよう過ちを自ら脱がねばならないため、従徒たちが助けられないようにすることで、恣意的な自由解釈によって崩れた社会正義が、神明が見守るような厳格な規則によって再び立て直されることを示す。[569]
社会契約主義が自由至上主義へ拡大して、無心に誤りやすい社会正義まで正したとしても、共同体が形成されてしまえば、少数に対する非倫理的行為については社会正義を立てるのが極めて難しいが、逆に「少数の困難な境遇が社会正義の確立にはかえってよい結果として現れうる」ことを示す。
富貴な者は自慢自足してその名利を高めることに心を注ぎ、ほかの考えを抱かないため、いつ我に考えが及ぼうか。ただ、貧窮な者こそ自分の身の上を自分で考えて、道成徳立を一日も早く待ち、運数が好転するたびに我を思うであろうから、彼らこそ我が人である。(『典経』教法二章八節)
上のように、多数の横暴によって困難な環境に陥った少数者の状態が、逆に神明に極まるのに有利になるため、共同体の公利追求過程で疎外されたとしても、人間の心によって経済倫理を回復することで、究極の目的である道通に至るのにより有利な段階(フィードバック)に至らせる。道通と開闢という巨視的な主題のために倫理道徳を疎かにするだろうという考えとは異なり、大巡思想では、他の甑山系列の教団に比べて倫理道徳の実践を極めて重視する。実際、大巡の信条と目的は、三綱五倫と中庸の誠敬信、[570]大学の毋自欺から成っている。
功利主義においても、倫理道徳が成功的に確立されたとしても、共同体は常に構成員の徒党形成による道徳的弛緩に陥りやすい。共同体の道徳的弛緩に対する制裁能力の不足を悩む共同体主義の場合には、共同体を維持しうる永遠回帰的な神人調化の新たな規律を提示する(フィードバック)。
上帝が従徒たちに仰せられた。「先天では相剋の理が人間と事物を支配したがゆえに、度数が狂って、弟子が先生を害する下剋上(下剋上)の事があったが、以後は綱倫(綱倫)が現れることになるため、そうした不義を敢行できないであろう。そうした事を敢行する者には背師律(背師律)の罰があるであろう。」(『典経』教法三章三十四節)
上で、共同体主義のための新たな綱領として背師律を推薦し、神明による共同体倫理の回復が可能となるようにする。ここまで神人調化に基づく回帰的分配観を要約すると〈表3.12〉のとおりである。
〈表3.12〉神人調化と社会正義の回復
| 正義の必要性 | 神人調化を通じた正義回復 | 社会正義回復関連の『典経』の一節 | |
|---|---|---|---|
| 自由至上主義 | 自由に対する場当たり的解釈 | 父母という理由でも真理への例外とならない | 父親に贈り物をさせない(教運一章四十三節) |
| 社会契約主義 | 契約違反に対する無力感 | 法の弱点を利用できないようにする | 神明は襟首を打って退ける(教法二章十七節) |
| 功利主義 | 力ある多数に対する少数者の無力感 | 力なき少数者がより有利な発想の転換 | 貧窮な者こそ道成徳立を一日も早く待つ(教法二章八節) |
| 共同体主義 | 裏切りに対する制裁能力の不足 | 下剋上を根本的に封鎖 | 背師律(背師律)の罰があるであろう(教法三章三十四節) |